神様に好かれる

神様は存在するのか|神様を信じられなくなったときに読んで欲しい話

まずはお腹を満たして、あたたかいものを飲んでくださいね

今この話を読もうとするあなたは、深く寒い絶望の中にいるのでしょうか。

あなた自身が大変な状況に置かれているかもしれませんし、あなたの大切な人がどうにもならない状況にいらっしゃるのかもしれませんね。

誰にも理解されない、相談したところでどうにもならないと思っているでしょうか。

実際のところ、他人に相談したくらいでは何の本質的な解決にもなりません。気休めにしか過ぎないこともあるでしょう。

でも、他人に打ち明けるのは、とても大切なことです。

まずはあたたかいものを食べて、飲んで、落ち着きましょう。そこではじめて、誰か話を聞いてくれる方はいるかしら、と考えを巡らせてみてください。

せめて聞いているだけでも、あなたに寄り添ってくださる方は傍にいるはずですよ。

今日はちょっと落ち着いたところで考えてみたい、神様の実在と試練についての話です。

神様は存在するのか、しないのか。あなたはどう思いますか?

私は調子が良いと神様が「視えて」しまう性質ですので、まぁ、「視えるから存在する」と言ってしまえばそれまでです。

しかし、あまりそういうのが感じられないという方の立場に立って考えてみるならば、

信じるなら存在する。信じなければ存在しない

というところでしょうか。

哲学的に答えるなら、シュレーディンガーの猫ですね。箱の中で猫が死んでいるとしても、箱の中を見なければ真実は分からない。箱の中身が見えず、「猫の死」を信じていない人からすれば、真実がどうであれ、その人にとって箱の中に「死んだ猫」は居ないわけです。

つまり、神様がいないと思っている人にとっては神様はいないですし、いると思っている人にとっては、神様はいると言えます。

「信じる」というのは、認識の中で大変重要な要素です。実際に目で見て「視認」できたからと言って、「信じられる」とは限りません。

目の前に見えているリンゴが本物だったとしても、「いや、あれは偽物に違いない」と信じて疑わなければ、その人にとっては食べられないリンゴということになるのですから。

あなたから見える世界のことは、全てあなたが信じるか否か、あなた次第です。

どうしようもないとき、どうやって神様を信じればいいのか?

なるほど、自分次第だということは何となく分かった。じゃぁ今の自分はどうすればいいのか?

私は教祖でも宗教家でもありませんので、「信じろ」とは申し上げられません。お好きにどうぞ、という立場です。

ある程度信じておいて助けてもらった方が、何かと物事がうまく運びやすいよ、ということは知ってますけれどね。無理に押し付けるものでもありません。

かといって、絶望的な状況で神様や御仏に「おすがりする」というのは、あまりお勧めしないかな、とも思っています。

あなたの人生は、あなたのものですからね。

ちょっと気持ちが楽になる、考え方のポイント3つ

「私は信じないんだ」という主義主張とは別に、大変なことがあって「神様などいないのではないか」と思ってしまったような方のために、

ちょっとだけ気持ちが楽になるかも知れない、スピリチュアル的な考え方をお伝えします。これも、どう捉えるかはあなた次第です。

ちなみに、ここからの話は人間の「生まれ変わり」をあるものとして前提しています。

①この世は偶然と必然で出来ている

「視える」性質のせいで、「この人はあらかじめ『早く死ぬ』と定められて亡くなったのだな」とか、「この人の命はまだ先があったのに、偶然が重なって亡くなってしまったのだな」ということが分かるときがあります。

人の生き死にに関わることなので、滅多に口に出して言うことは出来ません。

偶然が重なって不幸な結果になってしまった方は、本当にかわいそうなことです。しかし、偶然というのは不思議なもので、偶然が重なってとんでもない幸運を手に入れる方も、この世にはいらっしゃいます。

これはもはや、個人の力ではどうしようもないことです。そういうこともあるのだと理解するだけで、気持ちが楽になることもあるかも知れません。

この世の全てがあなたのせいでは、ないのです。

②全てを学びの機会と捉える

気に障る方もいらっしゃるでしょうが、実はあなたのスペックは、あなた自身が生まれてくるときに全て「自分で決めて」生まれてきています。

「そんなこと望んでいない」と思うこともあるでしょう。しかし、今のあなたが望んでいないくても、親も環境も人生で起きるイベントもすべて、生まれてくるときに「決めて」来たのです。

例えるなら、RPGゲームのレベル設定です。

とんでもなくチートスペックでEASYなレベルで人生を始めれば、簡単でなんの苦労もありません。その代わりになんのイベントも起きないので、たいした経験値を得られずに、なんの感動もなく終わります。

その逆にとんでもなくハードモードでのぞめば、とんでもない敵やイベントがたくさん待ち受けていますが、乗り越えられればとんでもない経験値が得られ、大感動をしてエンディングを迎えます。

その具合をうまーく調整して、「自分ならこれくらいできるっしょ」とカリキュラムを詰め込んで生まれてきたのが、あなたなのです。

つまり、全ては経験値を上げるためのイベント。学ぶためのカリキュラムです。

このイベントをクリアするか、カリキュラムを履修し終えるかはあなた次第です。

③乗り越えられない試練はない

よく言われる言葉ですが、試練は乗り越えられるものです。生まれてくる前のあなたによって、そうプログラムされています。

あなたや、あなたの大切な人に起きた出来事自体は、どうしようもないことかもしれません。打てる手立ては限られているかもしれません。

ですが、精神的な成長、度胸、度量の広がり、あるいは環境、経済的な成長、試練によって導かれるものも、たくさん用意されています。

試練を「乗り越える」ということは、生き死になどのどうしようもないことを「克服」することではなく、試練によって精神的・環境的な「経験値」「成長」を得たことを指します。

残酷なことですが、ここで「経験値」「成長」を得られなければ、それが来世のあなたへの「業(カルマ)」となって、来世に持ち越されます。

来世で単位を再履修させられるんですね・・・怖いことです・・・なんなら、来世の単位は二度目なんで、ちょっと重めの設定になります。

今世の宿題は今世のうちに!ではないですが、ここは踏ん張りどころと心得て、どっしりと迎え撃ちましょう。

 

いかがでしょうか。伝えたいことが多くて、ちょっと長くなりました。

少しでも参考になれば幸いです。

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